Research highlight
6. 観測記録が不足するオマーン湾の湧昇流発生をサンゴが記録
本研究成果は、英国時間2017年7月4日(火)にScientific Reports誌にオンライン公開されました。
研究論文名:Past summer upwelling events in the Gulf of Oman derived from a coral geochemical record(サンゴ骨格中の地球化学記録から読み解くオマーン湾における過去の夏の湧昇流イベント)
著者:渡邉貴昭 1,渡邊 剛 1,山崎敦子1,2,Miriam Pfeiffer3, Dieter Garbe-Schönberg4, Michel R Claereboudt5(1.北海道大学,2.東京大学大気海洋研究所,3.アーヘン工科大学,4.キール大学, 5.スルタン・カブース大学)
研究成果の概要
湧昇流※1 は海洋表層に栄養塩を輸送するため,海洋生態系や漁業に影響を与えると考えられていますが,湧昇流の観測には海水温,塩分,栄養塩といった多くの環境情報が必要であり,これらの広範囲かつ連続的な観測には困難が伴います。
一方,造礁性サンゴ※2 は,海水温や海洋表層の一次生産※3量といった海洋環境の変化を,サンゴ骨格の化学組成の変化として記録することができます。
本研究では,この造礁性サンゴ骨格を用いて,オマーン湾に湧昇流が発生した時期と発生期間を明らかとすることに成功しました。
論文発表の概要
【背景】
世界有数の湧昇域であるアラビア海のオマーン湾における湧昇流は,季節変化するモンスーンの影響を受けて発生していることが示唆されてきました。湧昇流は深海に富む栄養塩を海洋表層に輸送することから,海洋生態系や漁業に影響を与えていると考えられます。しかし,この湧昇流の観測には,海水温,栄養塩量,海洋表層の一次生産量といった多くの観測記録が必要であり,これらの広範囲かつ連続的な観測には困難を伴います。近年,衛星観測の技術向上に伴いこれらを観測できるようになりましたが,その精度は十分とはいえません。オマーン湾でもこれらの観測記録が不足しており,湧昇流の発生頻度や発生日数を知ることは困難でした。本研究では,湧昇域の環境変動を捉えるため,これまでに様々な変動要因が挙げられている造礁性サンゴの炭素安定同位体比※4(以下,炭素同位体比),海水温指標及び塩分指標である酸素安定同位体比※5(以下,酸素同位体比),Sr/Ca 比※6の過去26年間にわたる記録を解析し,炭素同位体比が変動する要因を検討しました。
【研究手法】
造礁性サンゴの骨格には樹木のように年輪が刻まれ,過去の大気・海洋の環境変動が 1 週間〜1 ヶ月間程度の細かい精度で記録されています。研究グループは,アラビア海のオマーン湾に生息する造礁性サンゴ群体から長さ 71cm の骨格柱状試料を採取し,年輪を 2 週間に相当する細かさで区切って化学分析を行いました。従来,造礁性サンゴ骨格の炭素同位体比には様々な変動要因があげられており,統一的な解釈はありませんでしたが,この変動要因を精査し,観測記録,復元した海水温及び塩分変動と比較することで,炭素同位体比が過去の湧昇流を記録するか検証しました。
【研究成果】
検証の結果,造礁性サンゴ骨格は,湧昇流発生時に起きる深層水の湧き上がりと植物プランクトンの増加を炭素同位体比の急激な減少として反映していました。また,その下がり幅が,観測記録の海水温変動から推測した湧昇流の発生期間と相関関係にあることがわかり,これにより湧昇流の発生日数を復元できるようになりました。すなわち,本研究により,造礁性サンゴ骨格を調べることで,湧昇流の過去の発生時期と発生日数を調査できることが解明されました。
【今後への期待】
本研究の成果は,100 年を超える長期の記録を復元できるサンゴを用いることで,過去の湧昇流の発生頻度と発生日数を推定できるようになったことです。さらに過去へさかのぼり,過去の湧昇流の様子を調査することで,湧昇流の発生メカニズムの理解の深化が期待されます。
(a)海水温・塩分の変動を反映するサンゴ骨格の酸素同位体比。
(b)海水温の変動の指標となるサンゴ骨格の Sr/Ca比。海水温の季節変動を正確に反映するため,Sr/Ca比の変動を参考にして,他の指標に日付をつけることができる。
(c)サンゴ骨格の酸素同位体比及び Sr/Ca比から計算した海水の酸素同位体比。海水の酸素同位体比は塩分のみの指標となる。
(d)サンゴ骨格の炭素同位体比記録。日射量や海洋表層の一次生産の活発さ,濁度を反映する。
(e)サンゴの成長速度。大規模な湧昇流発生時にサンゴの成長速度が低下していた。
(f)サンゴ骨格の炭素同位体比の異常値(日射量変動を反映した炭素同位体比の季節変動及び数年規模の長期変動を炭素同位体比記録から引いた記録。数年変動と季節変動からどれだけずれていたかを示す)。植物プランクトンの発生や海水温の減少が確認されている年に,負のピーク(黒矢印)が記録されている。
(g)観測記録に基づく湧昇流の証拠がある年(四角)を示した。観測記録をもとに,夏季の海水温低下及び植物プランクトンの発生が確認された年を昇流の証拠とした。
(a)夏の炭素同位体比の異常値と夏の海水温の低下日数の散布図。両者は強い負の相関関係にあったため,夏の炭素同位体比の異常値から湧昇流の日数を推定できる。
(b)(a)の回帰式(点線部分)及び夏の炭素同位体比の異常値から推測した湧昇流の日数。黒色は海水温の低下日数から推測した湧昇流の発生日数を示し,灰色はサンゴ記録から推測した湧昇流の発生日数を示している。
【用語解説】
※1 湧昇流 … 海洋において,海水が深層から表層に湧き上がる現象のこと。
※2 造礁性サンゴ … 体内に褐虫藻と呼ばれる藻を共生させ,褐虫藻が光合成で得たエネルギーを利用することで骨格の成長速度を速めているサンゴのこと。造礁性サンゴの骨格は炭酸カルシウムからなり,樹木の年輪のような骨格を形成する。この年輪に沿って化学分析を行うことで,1 週間〜1 ヶ月程度の細かい精度で古環境を復元できる。
※3 海洋表層の一次生産 … 植物プランクトンが光合成により,日光のエネルギーと栄養塩から有機物を生産すること。
※4 炭素安定同位体比 … 同位体とは,同じ原子だが,質量(重さ)が微妙に異なる原子のことであり,特に,放射能を持たない同位体(壊れにくい同位体)のことを安定同位体という。炭素には質量数 12 と 13の 2 つの安定同位体が存在するが,造礁性サンゴの骨格に取り込まれる質量数 12 の炭素に対する質量数 13の炭素の割合(炭素同位体比)は,骨格形成の速さ,造礁性サンゴの生物作用や周囲の海水中の無機炭素(例えば二酸化炭素や炭酸イオン)の炭素同位体比に依存することが知られている。
※5 酸素安定同位体比 … 酸素には質量数 16,17,18の 3つの酸素安定同位体比が存在する。造礁性サンゴなどの炭酸カルシウム骨格は質量数 16 の酸素に対する質量数 18 の酸素の割合(酸素同位体比)が骨格形成時の水温や海水の酸素同位体比(塩分)に依存することが知られている。このため,水温のみに依存する他の指標(例えば Sr/Ca比)と組み合わせて検証することで海水の酸素同位体比(塩分)を復元できる。
※6 Sr/Ca比 造礁性サンゴ骨格中の陽イオンはほぼカルシウムイオン(Ca2+)であるが,ごく僅かに別の元素も含まれている。たとえば,ストロンチウムイオン(Sr2+)が造礁性サンゴ骨格に取り込まれる割合は,骨格形成時の海水温に依存することが知られているため,骨格中の Srと Caの比を検証することで,過去の海水温を調べることができる。